大学の沿革

創立期
本学は戦前東京帝国大学法学部教授であった”小林貫太郎”が戦後に当時の東京市の郊外である多摩地域に女性のための私学の建設を志し、構想・立地に幾多の困難を経て、昭和26年に学校法人の認可を取得し、立川の地に設立されました。時あたかも、女性参政権の制定もあり、本学は世間の注目の的となり、多数の女子学生の応募がありました。~~~。
発展期
国の高度経済成長に伴い、人材不足が叫ばれ、男子学生と対等に評価される女子人材の育成が社会の急務となった時期でした。オリンピックや万博等の国際イベント、輸出入・貿易関係等への女性の職場進出が社会から要請され、本学卒業生の多くが国際関係の方面に進出をしました。~~~。
90年代
時代の趨勢に鑑み、男女共学化に踏み切るともに、学生数の増加により手狭となってきた旧校舎の増築が検討された。同時に立川駅北口の再開発計画が発表され、より良い勉学環境を模索し郊外への移転を決断した。東京都の首都機能の分散化計画と歩調を合わせ、学生・教職員の交通手段や住居の確保も合わせて検討した結果、玉川上水地域にまとまった用地が取得可能となりました。~~~。
21世紀
時代の要請に伴い、学科編成を横断的に改定し、学生個々のニーズにマッチした選択が可能な履修制度を整えました。また立川駅ビルにサテライトキャンパスをオープンさせ、早朝から午前中は語学の集中講座、午後は地域住民の交流センター、夜間は社会人の資格取得セミナー等の開催に役立っています。~~~。